大衆社会はマスメディアとしての新聞、雑誌を受け入れる土壌を培養した。こうして日本におけるマス・コミュニケーションは成立の方向へ進む。ラジオは1925年に開局し、聴取加入者は着実に増加した。戦前のラジオは日本放送協会(NHK)一本だけであったため、広告媒体として機能することはなかった。しかしラジオ版創設をきっかけとする『読売』の発展に見られるように、ラジオの普及は、日本におけるマス・コミュニケーションの成立に拍車をかける働きをした。大正末期には、邦画の本数が輸入洋画を上まわり、日本にも映画産業が定着した。新聞の人気連載小説が映画化されて、新聞の部数をいっそう伸張させるという連鎖的な現象も珍しくなくなった。人気俳優や人気大衆作家が同一の大衆的基盤をもって誕生してきた。
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小山薫堂のコラム