右の靴と左の靴を交換すると違和感がある。当たり前のことだ。人間でもこれは同じことだ。妹の家に私が帰るということは、すなわち違和感をどう愛していくかの過程でもある。服の違和感、下着の違和感、部屋の違和感、音楽の趣味の違和感、ベッドの違和感、歯ブラシの違和感、家庭の違和感、存在の違和感、などなど。もちろんそういうものは予想できたことだし、さほど驚かないが、その違和感があるうちに妹という人間が伝わってくる。違和感が妹が何を大切にし、何を嫌っているのかを運んでくる。また違和感から妹が周りからどう扱われ、見られているのかがわかる。お互いのバックを交換したので携帯電話も入れ替わることとなった。ベッドに横になり、枕元の読みかけの武術関係の本をどける。携帯のアドレス帳を見る。その件数の多さに驚く。三百人くらいは登録されている。私は確かその六分の一くらいだった。ため息をつく。次にメールの履歴を見てみる。友達からのもの、知り合いからのもの、恋人候補からのもの、メールだけの友達からのもの、性行為ーフレンドからのもの。読んではいけないような秘密の関係をほのめかすものもあったが、この秘密は今や私の秘密なのだ。私はその秘密を食べ、しっかりと胃のなかに収めていくのだ。私が私でなくなるためにこのメールの履歴を読むという作業はまず最初の有益なヒントとなった。私は消え、また生まれていく。音楽の趣味はどうだろう?まずオアシスのCDがコンポのなかに入っていた。「モーニングーグローリー」だ。私は正直、レディオーヘッドの方が好みだし、リアムーギャラガーやノエルーギャラガーがいつも問題発言するのを知っている。だからむしろオアシスは敬遠するバンドなのだが、この部屋で聴くと、その楽曲のよさが始めて伝わってきた。つまりは妹の耳になってその音楽を聴くということが起きたのだ。この部屋で聴くオアシスはただのポップーバンドではなかった。ボッブな美しいメロディー・センスをこれでもかというほどに強烈に叩き込まれる稀な体験。でもコピーCDだからそんなに好きじゃないのかもしれないけれど。