客観的な基準がないので、だれにとっても翻訳の質を判断するのは容易ではない。こういう場合、他の分野なら、小説だろうが、学術書だろうが、音楽だろうが、料理だろうが、技術だろうが、ほとんどどんな分野でも、評論家がいて、なにがすぐれているのかを教えてくれる。信頼できる評論家のお墨付きがあれば、一般の人も安心してその判断に従うことができる。ところが、翻訳にはこういう批評がないのだ。たしかに、翻訳書の批評はある。しかし、翻訳書の批評で判断されているのは、あくまでも本の価値であって、翻訳の質ではない。翻訳そのものの質が俎上に乗せられることもある。しかし、その場合に話題になるのはほとんどつねに、誤訳である。誤訳の指摘は、アカデミズムの権威を揺るがした点で意味があったし、安易な姿勢で翻訳に取り組まないようにいましめる点で効果があった。