阪神・淡路大震災では、援助物資の配給が始まるまで、水も食料も口にできなかった人が多くいた。配給が始まっても、「避難した初日はミカンー個だけ」「一つの弁当を三人で食べた」など、極端な水、食料、医薬品などの物資不足に悩まされ続けた。とくに高齢者は配給の長い列に並ぶことができなかったり、入れ歯がなくて食べられなかったり、持病の薬を持ち出せなかったために苦しんだ人たちも多かった。乳児は粉ミルクが足りなくて、やせ細ってしまう子もいた。
(参考情報)
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また粉ミルクがあっても温かいお湯が沸かせなかった。乳児用おむつ、介護用おむつも不足した。これらは中越でも同じであった。援助物資が到達して、配給が始まるまで最低三日はかかると言われている。この三日間は自力で食べていかなければいけない。地震を「対岸の火事」と考えていると飢えに苦しむことになる。避難所生活か始まれば、ふだん当たり前のように使っていた水、電気、ガスもなく、風呂、トイレ、食事の支度にもいろいろな不便を強いられる。そのときに普段から防災に備えていた人とそうでない人の差が出てくる。その違いは「命懸けで防災を考えていたか」ということである。